2016年8月6日土曜日


楽しみにしていた夏も
それが来てしまうと周りの喧噪が時々遠く夢の様に感じます。

青空に流れる雲の形が秋をちらつかせて
午後の陽射しが黄色味を帯びていたりするのを見つけてしまい。

夢の遊園地の張りぼてと現実みたいに。

夏の終わりが有る事に気付かないふりをしてみたりするのも。

それもまた夏です…ね。


Photo : Hotel Breakwater South Beach





気になる記事がwebで読める様になったので...
ー以下引用ー

<川久保玲さんロングインタビュー ファッションで前に進む> 
(アサヒコム2012年1月19日9時21分)

 世の中に漂う閉塞(へいそく)感、そして無力感。ファッション界のフロントランナーとして時代の最先端を鋭敏な感覚で嗅ぎ取り、あるときは時代の風潮にあらがってきた川久保玲。「鉄の女」とも称される彼女は「今」をどうとらえ、どのように前に進もうとしているのか。

■新しさのもつ力 「なんとなく」の風潮に危惧

 ――出口のない不況が続き、世界中で格差批判も広がっています。高級ブランドを扱う業界には逆風ではないですか。 
 「どの分野でも、商品の値段や製作費用をいとわず、新しいものを作り出そうとしている人はたくさんいます。そうした姿勢は、どんな状況であっても人が前に進むために必要なものだからです。私にとってはファッションこそが、そうした場なのです」 
 「一般の人には高くて買えない服でも、新しい動きなり気持ちがみんなに伝わっていくことが大切です。作り手が世界を相手に一生懸命に頑張って発表し、それを誰かが着たり見たりすることで何かを感じて、その輪が広がっていけばいい。新しいというだけでウキウキして、そこから出発できる。ファッションとはそういうものです」

 ――川久保さんの真骨頂は前衛的なデザインです。でも、世の中の風潮は安定感や着やすさを求める傾向にありますね。
 「すぐ着られる簡単な服で満足している人が増えています。他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています」 
 「作り手の側も1番を目指さないとダメ。『2番じゃダメですか』と言い放った政治家がいました。けれども、結果は1番じゃなくても、少なくともその気持ちで臨まなければ。1番を目指すから世界のトップクラスにいることができる。日本は資源がないのだから、先端技術や文化などのソフトパワーで勝負するしかないのです」

 ――ファッションで個性を表現する必要はない、と考えている人が増えているようです。 
 「ファッションの分野に限らず本当に個性を表現している人は、人とは違うものを着たり、違うように着こなしたりしているものです。そんな人は、トップモード(流行の最先端)の服でなくても、Tシャツ姿でも『この人は何か持っているな』という雰囲気を醸し出しています。本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです。最近はグループのタレントが多くなって、みんな同じような服を着て、歌って踊っています。私には不思議です」

 ――同じといえば、大量生産された安価なファストファッションをどう思いますか。
 「いろんなニーズに合った様々なビジネスの形態はあってもいい。強力なクリエーション(創造性)があるものも、即席のファストファッションも、その中間もあるでしょう。でも、ファッションのすべてが民主化される必要はありません」

 ――「ファッションを民主化する」というのは、ファストファッションの代表格であるH&Mの基本姿勢ですね。 
 「そういう傾向がどんどん進むと、平等化というか、多様性がなくなり一色になってしまう恐れがある。いいものは人の手や時間、努力が必要なので、どうしても高くなってしまう。効率だけを求めていると、将来的にはいいものが作れなくなってしまいます」

 ――そのH&Mと数年前にコラボレーションをしました。葛藤はなかったのですか。
 「全然なかった。たった2週間のイベントでしたが、私が手がける『コムデギャルソン』の服がマスマーケットにどうアピールできるかに興味があったので」

 ――かつての流行は世相を切り取るようなものでした。しかし今、ファッションも社会状況も混沌(こんとん)としています。そんな中でのクリエーションとは? 
 「8年前から、様々なクリエーターたちを集めて自由に表現してもらう『ドーバー・ストリート・マーケット』をロンドンなどに出店しています。価値観や手法が違っていても、集まることで一つのパワーになる。カオス(混沌)の中から相乗効果やアクシデントが起きて、それぞれの作品やブランドも輝きを増しました。同じコンセプトの店を今年3月に東京・銀座にも開店して、6階まで全フロアで展開します」 
 「世界中のいろんな情報がすぐ手に入る時代ですから、組む相手も探しやすいし、理解もされやすくなっている。それに、ひとひねりした表現の方がファッションとして成り立ちやすく、人の気持ちを浮き立たせます。ファッションはもはや洋服だけを意味しているのではなくて、音楽でも絵でも生活用品でも、新しいことはすべてファッション。インターネットショップにはない刺激が味わえると思います」

■自ら外へ飛び出せ 競争が力を生む

 ――環境意識が高まり、大量消費への疑問が広がっています。新作を発表し続けるファッション界は、エコと対極では。
 「私が新しい服を作るのは、何かを発信し続けることで、地球のどこかで少しでも何かを変えられるきっかけになるのではないか、と考えるからです。環境保護を直接訴えたり、活動に参加したりするやり方もあるでしょうが、私はそういう方法はとりたくない。ちょっと遠回りかもしれませんが、作ったものを通して感覚的に揺さぶる。そのことで問題に気づいてほしいのです」 
 「物をどんどん作ってちょっと古くなったらもうおしまい、という考え方も持っていません。年2回ずつ新作を出すわけですから、在庫は残ります。売れ残った商品も同じ価格で売り切るように努力しています。東京にリサイクルとデザインを融合した店を出しました。この5年間、在庫を売るためにベルリンなど世界各地に約40店の期間限定ストアも開きました。ビジネスとしてはちょっとつらい面もある。クリエーターというものは真面目にやれば、たいていは貧乏になってしまうものです」

 ――長引く不況で、消費者やマーケットが保守的になり、業界は挑戦しなくなったと言われます。
 「1990年代あたりから、強いもの、新しいものを求めるムードがなくなってきました。それがどんどんひどくなってきて、特にここ5年ほどは業界はすっかり内向きになってしまった。変化を求める気持ちも弱くなった。そんな流れの中で、私は『どこかで見たことがあるようなものはダメ』と自分を懸命に追い込んできました。ところが、それを理解して認めたり、着てみようと思ったりしてくれる人がだんだん減ってきたと肌で感じています」

 ――川久保さんは31年前、糸がほつれたボロルックでデビューし、世界のファッション界に衝撃を与えました。しかし、いまだに山本耀司さん、三宅一生さんとともに「御三家」と呼ばれ、後に続く世代が出てきません。若い才能を受け入れる土壌が今の業界にはないのでしょうか。
 「当時は、作品を発表するたびに強い反応があり、今よりも理解されやすかった。ヨーロッパのファッションはそれほど現代的とはいえなかったので、変化を求める気分があったのでしょう。私も若かったし、反応があったからこそ、さらに強気にチャレンジすることができたのかもしれません。それにパリ・コレでどんなに批判されても、『ああ、そうですか。ではみなさんのお望みのものを作りましょう』とは思いませんでした。『どうしてこれがわからないのか』とさえ感じていました」

 ――フランスやイタリアは国家をあげてブランドイメージの確立に取り組んでいます。日本でもようやくそうした動きが出てきました。
 「それは違うな、と私は思っています。まずは身一つで世界に飛び出して、道ばたでもいいから作品を見せること。世界の人に見てもらうだけでも緊張するし、自分にハッパをかけられる。無駄や失敗があっても、それが次に突き当たった壁を乗り越える力になるのですから」
 「社会が豊かになって、そういうガッツがなくなるのは仕方がありません。でも、あえて困難なことに挑戦する強い意志が今こそ必要なのではないでしょうか。『海外』とか『外国』とか、もうそんな時代ではないでしょう。どの国でどういう人たちと仕事をしても土台は違わない。それなのに外に目を向けようとしなくなっている若者が増えています。外へ自力で行って、なるべくたくさんの人と競争しないと、新しい力は生まれません」
 「日本国内にだって織りでも、染めや縫製でも素晴らしい職人技術があります。でも効率的な物作りや価格志向が優先される中で、そんな技術や工場がなくなりつつある。彼らと協力するためのデザインやシステムを考えることで世界に発信できる、新しい優れた物作りができるはずです」

■黒から白へ 強さ・希望込めて

 ――最新コレクションは白一色。驚きました。どんな意味を込めたのですか。 
 「15分間のショーで表現できることは限られています。今回は、白だけに絞り込むことで、もっと強さを打ち出したいと思ったのです。そこに込めたものは、希望のような気持ちかもしれません。現実は良いことばかりではなく、悪いこともあって、それも人生。そこから解き放たれることがいま大事なのではないか、という問いかけです」

 ――ウエディングドレスの袖の部分が拘束され、マスクのような帽子があり……。東日本大震災後の日本を表現したという見方もあります。
 「それは考え過ぎです。状況が窮屈であれば、自由の意味がわかりますよね。人は自由にならなければ一歩も進めない。それを拘束という形で反対に表現しただけです。新しいことイコール自由、自由イコール前に進むこと。一歩前へ進めば、物事はかなり解決できるものですよ」

 ――これまでの西洋的な美の基準にあえて異を唱え、新しい美を追求する姿勢から「反骨の母」と呼ばれています。その反骨心はどこからくるのですか。
 「世の中の不公平や不条理なことへの憤りでしょうか。本当は私だってそんなに強くはないですよ。ただ、強気のふりも時には必要です。ふりでいいのです。そうしないと前に進めないから。大変だな、どうしよう、としょんぼりしているだけでは何も変わらない。私も毎シーズン、自分の発表した作品が不十分だったのではないかと一度は落ち込んで、それからなんとか立ち直ったつもりになるのです」

 ――ファッションがあらゆる分野の流行に影響を与えた時代がありました。もはやそんな存在ではないのでは。 
 「それは時代の変化で、そういうものかもしれない、もう負けかな、と思うこともあります。状況を変えられていないのは事実ですから。けれども、ファッションにはなお、人を前向きにさせて、何か新しいことに挑戦させるきっかけになる力があると信じています」
 「ファッションは非常に感覚的なものなので軽く見られがちですが、実は人間に必要な力を持っています。理屈やデータではなくて、何か大事なことを伝えて感じてもらう。アートとも違って、人が身につけることで深い理解が生まれます。軽薄とみられがちな部分も含めて私はファッションが好きです。ファッションはたった今、この瞬間だけのもので、それを今着たいと思うから、ファッションなのです。はかないもの、泡のようなもの。そんな刹那(せつな)的なものだからこそ、今とても大切なことを伝えることができるのです」


■取材を終えて
 ファッション界では珍しく、写真の被写体になることを強く嫌い、また寡黙なデザイナーとして知られる。今回も作品と震災の関係については、言葉少なかった。その代わり、発表する作品はいつも全く違ったテーマや新しい手法で、世の中に強く訴えかける。見るものを戸惑わせ、深く考えさせ、心を揺さぶる。 
 ぼろぼろにほつれた服を引っさげて、パリモードの伝統に風穴を開けたパリ・コレデビューから31年。その間ずっと反骨の精神を貫いてきた。サングラスを好み、近寄りがたい雰囲気を漂わせる。だがインタビューではサングラスを外し、「時には強気のふりをしているだけ」とは意外だった。 
 大量消費社会が行き詰まりをみせ、既存の価値観が壊れる中、「ふり」をしながらでも自らを鼓舞して前に進むこと、それが新しい流れを生み出すためにきっと必要なのだろう。(編集委員・高橋牧子)


川久保玲(かわくぼ・れい)さん 
 1942年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、大手繊維メーカー宣伝部に入社。69年、「少年のように」を意味する仏語「コムデギャルソン」の名称で婦人服の製造・販売を始め、73年に会社を設立。75年、東京で初のショーを開き、81年からパリ・コレクションに参加。同時にデビューした山本耀司さんと共に、オートクチュールを頂点とする西欧モードを揺るがす「黒の衝撃」と騒がれた。その穴のあいた黒い服は日本でも「カラス族」「ボロルック」として流行。その後もパッドを体につけた「こぶドレス」(96年)、縫製の代わりに粘着テープで接着したジャケット(00年)など次々と話題作を発表し、前衛派の旗手として不動の座を保つ。朝日賞、毎日ファッション大賞、英国王立芸術大学名誉博士号、仏国家功労章などを受けた。