2017年8月11日金曜日






"落石計画"(OCHIISHI PLAN) Part. 2

その場へ行って直接感じたり考えたりが、インスタレーション
(空間全体を作品として体験させる芸術)の持つ意味でしょうか。
私の写真&文章で感想をお伝えするのは難しいです(表現力も知識も乏しくて…)
でも折角行って来たので、感じた事を書いてみたいと思います。

かつては人々が行き交って、通信をしていた場所、
誰も居なくなり、そしてまた今、人が集まり制作する場所。
時間の流れの中で無くなったり再生したりを繰り返して。
この東の端っこへ、わざわざ訪れるという行為が
特別感を更に際立たせるのかもしれません。
自然と人工物の対比
過去と現在

何もない(実際にはあるのだけれど)という事が逆に色々な想像をさせたり
限られた有るものの中に様々な意味を持たせたりするのかもと。

例えば、この建物の中に入れ子状に茶室が造られています。
銅版画に使った後の廃版を箱型にして、
中に石膏を流し固めて作ったキューブを沢山積み重ねて作っています。
普段は廃棄する銅版を再利用しているという事にも
色々な意味合いを持たせる事ができると思います。
版画を摺るのと同様、キューブの表面には毎回違う模様が浮かび上がっています。
建物内の剥がれかけた漆喰とコンクリート、錆びたり風化したものと
キューブの模様の対比も面白いです。

それからこの場所、建物、特に"窓と自然"の役割は大きいなと感じました。
窓は、地域(気候)、用途によって、形も大きさも取り付ける位置も違います。
この建物の外に広がる草原や空が、窓を通して切り取られた状態で見た時
特別なもの(例えば風景画や写真のように、とか)として目に入って来て
別の印象を与えたり。
また窓から差し込む光と陰が、漆喰の壁や床や作品に、ニュアンスを与えたり。
他にも風や湿気や潮の匂いなどが窓から入り込んで来て、
来た人達に、視覚以外の感覚もフルに働かせて
様々な事を想像をさせる効果がある様な気がします。
それぞれの作品の技法や出来映えの事だけではなくて
作品とその場所、環境(自然物、建造物全て)お互いの効果について
考えたりもしましたし、とても興味深く感じました。

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私は染織作品を作って行く中で、布の構造や素材の持つ性質や
出来上がって行く制作過程にかかる時間などを通して考えた事
こちらへ住む様になって見つけたり感じた事(気持ち)などを
染織と言う表現から派生した自分のやり易い?何か別の方法で
かたち(作品)にしてみたいと思って少しずつ試しています。
色々なこれまでの流れの中から始めた些細な事なのですが...
なので、今回こちらへ行った事は、とても有意義だったと思います。

それから当たり前の様に近くにあるけれど、非日常的でもあるこういう所へ来ると
街での出来事、例えば...話題や流行のお店の事、明後日までの締め切りや、
片付かない部屋の事、今晩のおかず、自分の作っているものや、考えてる事も...
ありきたりな感想ですが、全てがどうでもよい様な
つまらない事の様にも思えてきます。

植物や、うねる波、通り過ぎる風には到底及ばないと無力感に愕然としたり。
反面、繰り返しの作業で作られた作品や
誰に見せる為に生きている訳でもない自然の営みの繰り返しを見て
繰り返し続ける事の意味の大切さ?みたいなものも感じたりしました。

この様な場所から遠くない土地に住む事になった自分が
漠然とずっと持ち続けていた何か(気持ち?)を、無力なのに
やっぱりどうにか形にしてみたいと思ったりしてしまうのも
この場所の持つ力(影響)なのかもしれません。

専門的な事はよく解らないし、なんだか上手く書けなくて
行った事のない方が読んでも面白くもないものになってしまいました...。
書いている内容を見て、何だこの感想は!?と思われるかもしれませんが、
お許しください〜、笑。

展示されていた作品の事は全然書けませんでしたが(HPをご覧ください)
好きな感じのもの、場所に合ったものもありました。
学芸員の方が道外からいらして、作者とのギャラリートークも有り
また、ご一緒したMさんのお陰で、先生方のお話も少し聞けました。

アートプロジェクト "落石計画" の詳細は、ホームページをご覧ください。