2017年11月3日金曜日


布、そして糸の考察


天然の繊維から作られている糸や布でも、
なかなか心惹かれるものに出会うのは難しい。
元は同じ素材から作られているのに...。

織りをするようになってからは、自分で糸も作ったり(紡いだり)もする。

目の前に素敵な色、質感、デザイン(良い風合い)の一枚の布がある。
何故その布に惹かれたり、素敵で心地よいと感じたり、
幸せな気持ちになる様な風合いを醸し出しているのかな?と思った時、
そのものがどう構成されているか、考えるのは面白い。
(これは、布だけでなくて、絵や建物(空間)や様々なものも同じだと思うけれど)

布の場合、色、質感だけでなく、様々な要素が良い具合に混ざり合っている事、
そして糸=元となる素材の繊維の質とその加工方法が重要だ、と
当たり前なんだけれど。深くつくづくと思う。

最初は表面的なもの、例えば色と柄(デザイン)、そして糸の太さを真似したら、
同じ様な布を再現できるかな?と思ったけれど、
似た様なものであって、同じにはできないと分かった。
糸の太さだけじゃなく、撚りの向き、撚り加減、繊維の種類が同じでないと
無理なんだと。(更に言うと繊維の太さ、長さ、固さ等の質の違い)

目の前で見ているのが一枚の布だとしても、その布は糸から出来ていて
更には糸は繊維から出来ているので、私はいつも、繊維を見ているし、
織りの構造(組織)を見ている。

糸の元となる、繊維一本一本を触って仕事をすると
糸を常に目や感覚で見て触れて、使って調べて、その仕組みが解ってくる。
機械で均一に多くの量を作られた糸と、そうでない糸
少量生産の糸や手紡ぎの糸との決定的な違いというのがよく解る。

完成品(布)のぱっと見から伝わる風合い色合いは、
ただ単に色の違いデザインの違いだけではないと言う事。
どんな糸、繊維(羊毛等の素材)をどう加工しているか、なのだと。

同じメニューを作る時、素材や調理法で味も見た目も変わる、料理と同じ様に。
糸だけではなくて、木材や金属など、素材共にそれぞれの堅さや色が有るのと同じく。




その違いを言葉で伝えるのは難しいけれど
毛糸の場合、ひとつの大切な要素として「ゆらぎ」があると思う。
(毛糸以外の手で績む、紡ぐ自然の繊維糸も同じく)
ゆらぎは 糸の均一の違い(太さの違い)の様なものと言えばいいだろうか。

手作りならば何でも良い訳ではないし、
単に糸状になっていたらそれで良い訳でもない。
素材の特性への理解、経験、技術、
そして手で作るから出来るものなのだろうと。
そうした中から出来る、程よいゆらぎ がある事がとても重要な気がする。
数字では現せない様なもの。
でも確かに有るもの。
均一に近いけれど、程よく不均一なゆらぎの様なもの。
機械的に作られたスラブ状の糸(太かったり細かったりを繰り返す形状の糸)は
一見、似ているけれどやっぱり違う。
機械で作り出す太さの違いは、太細のパターンが均一で、
機械的な太さの違いは心地よいゆらぎにはならない。(味気なさ)
これは見た目で結構すぐに違いが解る。不出来な手紡ぎ糸で出来てしまう、
デコボコの糸も同様に違う。

たまに、とても古い織機(しょっき)や紡績機をメンテしながら、
敢えて使い続けている工場をテレビ等で見るけれど、仕組みが単純で、
でも、使う人だけが解る「あそび」のスペースや
「加減」があって...だから扱いは単純ではない。
そう言うのがとても大事だったりする。
古い機械は少し人間的なのだろうなと思う(人の手加減が加わる)。
数値で制御できないもの。

布の「風合い」は人間の作り出す本当に微妙な糸の「リズム、ゆらぎ(不均一性)」
それが心地よさの一つの重要な要因かなと思う。(機能的にも)

糸がその様な良いものであって、かつ、織り密度や仕上げの縮絨、仕上げまでに行う
ひとつずつの行程、素材の扱いが、完成時の布の風合いにそれぞれ深く関わる。

そう言う布は、完成したものの見た目、使い心地だけでなく、
作っている時(触れている時)も心地よい。

勿論、機械で作ったものや化学繊維が悪いと言う訳ではなく
(それらには別の優れた面もある)
手で作る事の大きな意義がそこにひとつある気がする、という事。




手紡ぎの糸に関して言うと、私は染めないで羊の自然色
(様々なトーンのグレー、黒、茶、白)を使う事が多く、
繊維(糸)の風合いを大切にしたいので柄も余り入れない。

元々繊維が持っている色の幅、深さは多様で本当に美しい。
地模様を入れる(織る組織)のは、タテ糸とヨコ糸の交差する点の面積と
交差していない部分(糸の飛んでいる部分)の量によって変化する布表面の光沢や、
布の厚み、糸のゆらぎ、繊維の繊細な色質感をより良く表現したいから。
(素材を活かす)
そう言うものは必然的に見た目も美しいように感じる。
それだけでいいし、それ以上要らない(自分は)。
沢山の模様や色のものは他で手に入るし、別の方法で作れるから、
自分が紡いで作る糸を使って織る布には必要はなくて、
余計なものを引いていって、自分がその布から
一番見たい、感じてもらいたい要素に絞ったものを作ったらいいと思う。
結果、時間や手間はかかって沢山は作れないけれど。
時間が生み出す繊細なものの中にある歓び幸せ感?!の有る、糸、布…。

手仕事、丁寧、自然、手間...
こういう言葉が多用されすぎると、本当の価値が薄れて行く気がするし
逆にこういう言葉を使うとむずがゆい様な気恥ずかしささえ感じる今だけれど、
敢えて…たまにはこんな事も書いておこう。
モノと向き合ってよく見て自分の頭で考えて静かに手を動かそう。


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